「日刊オゼ☆ケン」通信 THE 3rd

松下政経塾・塾頭 前岐阜県関市長(3期)&スタアラ世界一周

11月14日のブログ「スリ未遂、デルフィの世界遺産「アポロン神殿」へ、アラホバの街」

今朝は午前5時半に起床・・・午前6時15分にアラームをセットしていたのですが。

 

ギリシャとトルコは1時間の時差があるので、こちらの午前5時半はトルコの午前6時半だからかもしれないですね。

 

これまで各国に到着した翌日は、街のメインスポットを一気にまわることが多いのですが、ギリシャではデルフィへの1日ツアーを申し込み。

 

明日でも日程的には良かったのですが、ツアー料金が今日の方が10ユーロくらい安かったので。

 

ホテルの朝食が午前7時からだったので、軽く食べてからそのままホテルを出発。

 

昨日も使った地下鉄ですが、やはり私には分かりづらく、iPad miniの画面を見ながらホームへ。

 

すると2人組の若い男性から、「どこに行きたいのか?」と聞かれたので、乗換駅を伝えたら、「こっちのホームの電車に乗ればいい」と教えてくれたので、そこまでは親切な人。

 

ただし、ブダペストで両替詐欺に遭ってから警戒心マックスなので(笑)、ホームの一番端まで歩いて乗ろうとしたのですが、さっきの2人組が後から付いてきて「こっちだ」と電車に。

 

 (あぁ、これはスリか詐欺だな)

 

と。

 

何れにせよ、集合場所の駅までは行かなければならないので地下鉄に乗車・・・も、さっきの2人組とは別の男が、ドアが閉まるなり私のショルダーバッグの中に手を入れようとする場面を目撃。

 

 (あぁ、こいつもスリだな)

 

と。

 

私のショルダーバッグは、フタをするようなカタチになっていて、かつ、財布は一番奥に入れているので、バッグのかなり中まで手を入れないと取れません。

 

ここで、念の為にチャックを閉めたのですが、スリ2人組+1人のうち2人はしきりとドアの上に掲示してある地下鉄路線図を指差して、「この駅で乗り換えだ」みたいなことを何度も。

 

要は、私の注意を上に逸らせておいて、別の仲間が私の財布を抜こう、という魂胆。

 

フタがあり、チェックが閉まっていて、その上から私が手を置いているので、スレない状態なのですが、途中で、2人組の一人がギリシア語で何かを訴えてました。

 

おそらく、

 

 「こいつのバッグ、チャックが閉まっているから取れない」

 

と言っていると思われ。

 

こちらも地下鉄の乗り換えに困っているフリをして、「これはメトロ1か、メトロ2か?」と質問したり、とにかく1駅をやり過ごし、次の駅で「サンキュー」と言って下車。

 

まぁ、結果的にはスリのお兄ちゃん達に案内してもらえました。

 

ハンガリーブダペストで両替詐欺にあったこともムダではない、と(笑)。

 

昨日の夜に到着してから、これまで訪問してきたどの国よりも警戒が必要な街、という印象を持ったのですが、それが正解ですね。

 

地下鉄のハランドリ駅が集合場所だったのですが、無事に午前7時50分の集合時刻の5分前に到着。

 

先日のカッパドキアは8名という少人数のツアーでしたが、今日は約30名が参加してのツアー。

 

午前8時過ぎにバスが出発。

 

ガイドは旅行会社のスタッフの人かと思ったら、考古学者の若い女性の方でした。

 

アテネからデルフィまでは約180キロ・・・途中、トイレ休憩も兼ねてカフェで20分ほど休憩。

 

デルフィには、午前11時前に到着。

 

 

デルフィ(デルフォイ)は、ギリシャ全土から信仰された土地で、個人だけでなく国家指導者もアポロンの神託を受けていました。

 

塩野七生さんの「ギリシア人の物語」を読んでいても、何度もデルフィ(デルフォイ)の神託が出てきたので、実際に訪れてみたい、と思っていました。

 

上でアテネから約180キロの距離と書きましたが、今日、バスで往復をしてみて、アテネからでもかなりの距離があることを実感しました。

 

当然、当時は車はないわけですから、デルフィに到着するだけでも大変です。

 

また、アポロ神殿などが建てられていたのは、山の斜面なのですが、それ以上に後ろにある断崖絶壁が印象的でした。

 

日本にも山岳信仰がありますが、おそらく多くの国にも山岳信仰そのものや、それに近いものがあると思いますが、この光景もここが信仰の場となった理由のひとつではないか、と感じました。

 

もちろん、こういった断崖絶壁は他にも見ることはできますが。

 


↑ 博物館にある模型ですが、ほぼ真ん中に建っているのがアポロン神殿

 


アポロンの神殿・・・この神殿の地下でアポロンの神託が行われていました

 


↑ 上から見たアポロン神殿

 


アテネ人の宝庫・・・1906年に復元された建物で、アテネマラトンの戦いでペルシャ軍に勝利したことに感謝してアポロンに捧げたもの

 

いやぁ、このデルフィ遺跡だけでなく、後ろの断崖絶壁や下方に拡がる谷など、これは実際に現地に来てみないと全体像がイメージできませんでした。

 

写真ではこの空間の拡がりが分かりづらいのですが、動画なら現地の状況を想像しやすいかもしれません。

 


www.youtube.com

 

今日のガイドの説明の中でも、古代ギリシャの政治家としてペリクレスの名前が出ました。

 

以前、ペリクレスにも触れた文章を書いたことがありました。

 

新年、明けましておめでとうございます。

 

最近、今さらではありますが、古代ギリシアの政治思想に関する本などにも目を通しています。


先日、古代ギリシア都市国家アテネの政治家ペリクレスの演説を読みました。ちなみに、イギリスのジョンソン首相も、尊敬している政治家としてペリクレスの名を挙げています。

 

ぜひ、市民の皆さんにも一読してもらいたい、と考え、以下、一部を抜粋して紹介し、新年の抱負に代えます。
 
「この政体下では、すべての市民は平等な権利をもつ。公的な仕事への参加で得られる名誉も、生れや育ちに応じて与えられるのではなく、その人の努力と業績によって与えられる。(中略)

 

アテネでは、貧しさ自体は恥と見なされない。だが、貧しさから抜け出そうと努力しないことは恥と見なされる。(中略)

 

このアテネでは、市民には誰にでも公的な仕事に就く機会が与えられている。ゆえに、政治に無関心な市民は静かさを愛する者とは見なされず、都市国家を背負う市民の義務を果たさない者と見なされるのだ」

 

塩野七生ギリシア人の物語Ⅱ」p159 - 161)

 

この演説は、紀元前430 年、スパルタとの戦争(ペロポネソス戦争)の1 年目に、戦死者に対する国葬の場で、アテネ市民に向けてなされた演説とされています。約2500 年前の言葉ではありますが、2021 年の今日でもまったく色あせることはありません。

 

日々の生活の中で、とかく目の前にあることに対応するため右往左往しがちとなりますが、どんなときでも根幹が揺るがないよう、常に自分自身を律することが大切です。

 

民主政の原点、とも言えるこの文章とともに、この1年を歩みます。

 

遺跡の横にあるデルフィ博物館へ。

 


ナクソス人のスフィンクス・・・ここの細長い1本の円筒が立っていて、一番上にこのスフィンクスが鎮座していたそうです

 


アポロン神殿の北東に立っていた、踊る少女たちの像

 


↑ デルフィ遺跡から少し歩いたところに、いくつかの国旗が・・・日本国旗が一番手前に

 

再びバスに乗って少しだけ移動して、少し離れたデルフィ遺跡も見学。

 


↑ アテナ・プロナイアの神域

 

その後、デルフィに近いアラホバの街へ。

冬になるとスキーリゾート地として、大勢のスキーヤーが訪れるそうです。

 


↑ 坂の多い街で、メキシコのタスコを思い出しました

 

坂を上がっていけば、街全体を見下ろす絶景ポイントがあるのでは・・・と、一番上まで行ったつもりですが、どこもイマイチ。

 


↑ 聖ジョージ教会

 

午後4時にアラホバの街を出てアテネへ・・・午後6時20分に出発したハランドリ駅に帰還。

 

デルフィには自分ひとりでバスで行けないわけではないようですが、ツアーに参加して正解でした。

 

地下鉄に乗って、アテネの中心地であるシンタグマへ。

 

 

ここから歩いてホテルへ。

 

途中、スーパーがあったので、水とビールを購入したのですが、客のひとりが何だか騒いで、何人かの店員にからみ。

 

店側が警察を呼んだようで、警官2名が到着。

 

ギリシャ語が分からないので、何が理由なのかは理解できませんが、昨晩の物乞いや路上生活者、朝のスリ未遂といい、どうもアテネの街は荒んでいる印象が強いですね。