「日刊オゼ☆ケン」通信 THE 3rd

松下政経塾・塾頭 前岐阜県関市長(3期)&スタアラ世界一周

11月9日のブログ「ボスフォラス海峡クルーズにて「コンスタンティノープルの陥落」、イスタンブールからカッパドキアに移動」

今朝はクルアーンで起きる前に、窓から聞こえる何かの音で午前4時過ぎに起床。

 

何の音かと思えば、かなり強く振っている雨音でした。

 

寝ぼけた頭で(今日はいよいよレインポンチョを使わないと・・・)と考えながら、再び眠りに。

 

・・・が、やっぱり午前6時過ぎに大音量のクルアーンで再び目覚め(苦笑)。

 

三度寝しましたけどね。


午前8時過ぎにホテルにて朝食をとってから、午前9時10分過ぎにホテルを出て歩いてボスフォラス海峡クルーズの乗り場へ。

 

幸いにして、明け方に強く降っていた雨は上がり、雨具なしで歩けてラッキーでした。

 

午前10時発のクルーズに乗りたかったのですが、混み具合が分からなかったため、出航30分前の午前9時半に到着。

 

到着してみたら、人の姿がまばらで安心したのが半分、拍子抜けしたのが半分。

 

チケット売り場で午前10時のチケットを購入し、クルーズ船に乗り込み。

 


↑ こちらでクルーズのチケットを購入

 

いろいろな会社がクルーズ船を出していますが、私が乗ったのはTUROL社の1時間半のクルーズ。

 

長いクルーズですと、6時間くらいのコースもあるようですが、これだとクルーズだけでかなり時間をとられますので、1時間半くらいが日程に組み込みやすいですね。

 

かなり大きめのフェリーでしたが、乗船客はかなり少なかったので、ユックリと景色が見れたことはよかったです。


↑ フェリーから望むイェニ・ジャミィ

 

船内でもトルコ語と英語で、名所案内をしてくれるのですが、私の英語力がないのと、かなりスピーカーの音が割れるので、余計に理解できません。

 

今日は周りに英語ガイドを付けた人が2組ほどいたので、そちらに耳を傾けてタダ乗り(笑)。


クルーズ中、いくつかの見所があるのですが、私も目的は2つだけ。

 

1453年のコンスタンティノープル陥落に関わる遺構・・・具体的には、メフメト2世がコンスタンティノープルを攻め落とすため4か月で建設したルメリ・ヒサール(ヨーロッパ側)、メフメト2世の祖父にあたるベヤズット1世が建設したアナドル・ヒサール(アジア側)。

 

市長退任前、古田はじめ・知事にご挨拶に伺った際、世界一周の話となり、トルコ・イスタンブールを訪問することを伝えたら、

 

 「イスタンブールに行くなら、塩野七生の「コンスタンティノープルの陥落」を読んでいくと良いですよ」

 

と薦めていただきました。

 

 

 

もともと何年か前に「コンスタンティノープルの陥落」は読んだことはあるのですが、今回、改めて読み直しました。

 

私は年に200〜250冊くらい本を読む、ある意味、活字中毒なのですが、今回の世界一周の旅では本を読んでいません。

 

唯一の例外が、この「コンスタンチィノープルの陥落」。

 

知事から、

 

 「本を読んでから実際の場所に行くと、なるほど、本で出てきたところはここか、と理解できる唐」

 

ともアドバイスをいただいたのですが、今日のクルーズはまさしくそういう感じ。

 


↑ こちらがヨーロッパ側のルメリ・ヒサール・・・メフメト2世が、臣下を競わせるかたちで建設を進め、わずか4か月で完成させた要塞

 

もともとアジア側にあったアナドル・ヒサールと新たに建設したルメリ・ヒサールと、両側から大砲を射掛け、ボスフォラス海峡を通るヴェネツィアジェノヴァの戦闘船や通商船を沈めたり、圧力をかけた場所。

 


↑ こちらがアジア側のアナドル・ヒサール・・・遠くて分かりづらいですが

 

ボスフォラス海峡が狭くなるところに要塞を構えたことが、実際に行ってみて納得できました。

 


www.youtube.com

 


↑ 金角湾・・・ビザンツ帝国オスマン帝国の船が金角湾に入ってこれないよう、鉄鎖で封鎖

 

一方、オスマン帝国のメフメト2世は、船をアジア側の要塞の裏から陸路で移動させて金角湾に送りこみ、さらに大砲なども設置できる浮き橋を金角湾に浮かべ、そこからもビザンツ帝国に砲撃を加えました。

 

アヤソフィアも、驚くほどの壮麗なモスクですが、ビザンツ帝国時代は聖ソフィア大聖堂(かなり荒れていたそうですが)だったわけですね。

 

コンスタンティノープルの陥落」の中にも、聖ソフィア大聖堂が出てくるのですが、昨日まであまり私の中で繋がっていませんでしたが、今日、クルーズに行ってやっとリンクしました。

 

午前11時半過ぎに、クルーズを終えてフェリーターミナルへ。

 


↑ 昼はガラタ橋名物のバルック・エキメッキ(サバ・サンド)・・・焼いたサバを挟んだものですが、これが結構イケます

 

ガラタ橋を渡って、旧市街から新市街へ。

 


↑ ガラタ橋からは大勢の釣り人が糸を垂らしています

 


↑ (そんなに釣れるのかな)と思ってましたが、結構、釣果が上がってました

 

まず、新市街のガラタ塔へ。

 


↑ こちらも「コンスタンティノープルの陥落」に何度も登場します・・・ガラタを拠点としていたジェノヴァ商人によって建設された塔

 

本来ならば、この塔のテラスから360度のパノラマが見れて、さらに「コンスタンティノープルの陥落」の位置関係がよく分かるのではないか、と期待していたのですが、残念ながら現在は工事中でテラスは閉鎖されていました。

 

次にバスに乗って、オルタキョイ・ジャミィへ。

 


↑ ボスフォラス海峡に面しているので、クルーズ船からも見ることができました

 

内部は撮影禁止となっていました。

 

新市街にあるドルマバフチェ宮殿も行きたかったのですが、必ずガイドツアーと一緒で開ければいけないようで、所要時間もかなりかかるようなので断念。

 

午後2時過ぎに一旦ホテルに戻り、カッパドギアに移動する準備。

 

イスタンブールのホテルもそのままで、今日だけ新たにカッパドギアにホテルを取ったので、費用としてはかかるのですが、今日のように好き勝手な時間に使えて、リュックも置いていけるので、メリットもあります。

 

午後3時過ぎにホテルを出て、サビハ・ギョクチェン国際空港へ。

 

現在のイスタンブール国際空港の前に、メインとして使われていた空港ですね。

 

ホテルからは、地下鉄等を乗り継いで、1時間半弱かかりました。

 

フライト時間は午後6時25分なのですが、初めての空港ということもあり、余裕をもって到着。

 

空港内で夕食をとって時間調整・・・と考えていたのですが、空港内はマックやスタバやカフェなどで、(うーん、食べたいものがない)と悩んでいたら、ふと(国際空港ならプライオリティパスが使えるかも)と。

 

調べてみたら、国内線でも使えるラウンジがありました。

 


↑ ありがとう、プライオリティパス・・・助かりました

 

定刻通り午後6時25分に出発して、午後7時半過ぎにネヴシェフィル・カッパドギア空港に到着。

 

宿泊ホテルを通じてシャトルバスを依頼していたので、私の名前を書いた紙を出している人に声をかけ、バスまで連れて行ってもらいました。

 

乗り合いになりますので、到着までかなり時間がかかる、という情報でしたが、今日は私も含めて2名だけですので、スムーズにホテルまで送ってもらえました。

 


↑ 一応は洞窟ホテル・・・になるんですかね

 

カッパドキア・・・といえば気球ツアーですので、少し悩んだのですが、私は地上のツアーを選択。

 

絶景も関心がないわけではないのですが、どちらかを選ぶのなら、歴史的な場所等を訪問する方にしますかね。