昨晩から泊まっている部屋は,なんと窓がない部屋・・・今日は窓がある部屋に変える、と言われていたので,出かけるときにリュックサックをフロントに預け。
まず,ホテルから歩いていける地下鉄の駅に行き,地下鉄とバスの共通カードを購入。
↑ こちらが地下鉄駅にあるカード購入とチャージする機械
メキシコでも同じように公共交通カードがあり,チャージをして利用しましたが,先日も書いた通り,料金も安く,とても便利に使えました。
パナマでも同様で,まずカードを2ドルで購入し,そのカードにチャージをして使います。
ちなみに,パナマの通貨はバルボアですが,実質的にはアメリカドルが使われています。
メキシコでは,現地通貨でいくつかトラブルが起きましたが,パナマはアメリカドルですから,日本から持ってきたドルが使えるので助かります。
その後,パナマ訪問の最大にして唯一の目的と言ってもいいパナマ運河へ。
これまたホテル近くのバス停から,早速,先ほど購入したカードを利用して乗車。ちなみに,料金は0.25ドルです。
こうやって海外に行っても,地下鉄やバスに乗れるのは,Googleマップ等のアプリでルートが出てくるからですね・・・当たり前のように使っていますが,学生時代の海外旅行と比べると夢のようでもあります。
・・・とはいえ、情報は完璧とは言えず、検索結果とは異なり、バスターミナルで全員降車させられることに。
バスターミナルで乗り換え、パナマ運河近くのバス停へ。
そこから歩いて、ミラフローレス・ビジターセンターへ。
↑ 教科書に出てきた場所に、実際に自分が立っていることに、単純に感慨を覚えます
パノラマ写真だけでは雰囲気が伝わらないかもしれないので動画も。
本当は船舶が通るところを見たかったのですが、私が到着したときには、すでに船舶は通過した後で、次は午後2時・・・ということだったので、残念ながら断念。
午前11時から、モーガン・フリーマンがナレーターをしている、パナマ運河の歴史の3D映像を鑑賞。
1914年に完成した運河ですから当たり前かもしれませんが、規模が思ったより小さく感じました。
2016年に拡張工事が完成し、現在はさらに大きなサイズの船舶も航行できるようになっています。
ニカラグアの中国による第2パナマ運河・・・今後、実際に完成できるのか、分かりませんが注目します。
正午前にミラフローレンスを出て、バスで世界遺産のパナマ・ビエホへ。
・・・が、バス停を通り過ぎ、違うバス停で降りてしまい、裕福ではない住宅街の中へ。
↑ 写真では、あまり伝わらないと思いますが、あまり部外者が入ってはいけないような感じでした・・・身の危険までは感じませんでしたが
再び、バスに乗り直してパナマ,ビエホへ。
スペインが1500年代に最初に築いた植民都市ですが、イギリスの海賊により廃墟に。
現在は修復や整備がなされ、周辺は公園のようになっています。
↑ 教会跡
↑ カテドラルの鐘楼跡
鐘楼跡には、階段で上まで行けるようになっており、そこから360度でパナマ市街を見渡せます。
その後、旧市街のカスコ・ビエホへ。
バスが着いたところの近くに、日本のJICAの支援で作られた水産市場が。
↑ 写真を拡大すると、「JAPAN」という文字、日本の国旗が見れます
日本の援助が入っているだけあって、水産市場内は想像以上に清潔に保たれていました。
水産市場周辺は、新鮮な海産物を料理するレストランが10店舗以上、並んでいます。
まずはカスコ・ビエホに行こうと思っていましたが、ちょうど雨が強く降ってきたこともあり、(これは日本の援助でできた水産市場の魚を食べていけ、ということか)と考えて食事をとることに。
↑ 午後3時過ぎという時間でしたが、大勢のお客さんで賑わっていました
メニューをスマホの写真で見せてくれたのですが、どうもかなりの大きさ・量に見えるので、Google先生を通じて、「一人で食べ切れる量ですか)と聞いたら、「もちろんです」とお姉さんは答えたのですが・・・
↑ ・・・というやり取りの後に出てきたのがコレ・・・ワタクシ、料理を見た途端にお姉さんの顔をガン見しました(苦笑)
上に写っているのが、パナマのビール「バルボア」ですが、これでほぼ350ml缶と同じ大きさです(335ml缶でした)。
魚ごと揚げた料理ですが、日本を離れてから魚を食べるのは初めて・・・ということで、魚自体はとっても美味しかったです。
明らかに量は多すぎるのですが、これが日本で教育を受けた習性なのか、残すことができない(酒の席を除いて)ので、最後の方はムリムリ食べ切りました。
食後、歩いてカスコ・ビエホへ。
↑ カテドラル
↑ メキシコのタスコではないですが、こちらも街並みに雰囲気がありますね
↑ パナマ運河博物館
館内の展示は、パナマ運河に限ったものではなく、パナマの歴史自体の展示もかなりスペースが割かれていました。
↑ 私の世代からすると、パナマといえば「ノリエガ将軍」ですが、扱いとしては大きくなかったですね
そもそものパナマ独立、パナマ運河建設、ノリエガ将軍の独裁に対するパナマ侵攻、パナマ運河の返還・・・パナマの歴史はアメリカとの歴史でもありますね。
ホテルに戻って、新しい部屋へ・・・窓があるだけで、全然違いますね(笑)。
午後3時過ぎに、お腹いっぱい食べたので、夜は近所のスーパーにてビールとつまみを買って夕食代わりに。
ホテルに戻る途中、道路で音楽パレードが・・・実は、カスコ・ビエホから歩いて地下鉄に乗る途中、賑やかな音楽を演奏していたのは見たのですが、そこから道路をパレードしながら練り歩いているようです。
何だかとっても賑々しいリズムで、聴いているだけで楽しくなります。
思わぬカタチで、パナマの音楽を楽しめました。