昨晩、ベッドに入るのが遅かったので今朝は走らず。
本日4月1日から、松下政経塾の塾頭に就任することになりました。
午前9時から朝会の後、敷地内にある根源社にお参り。
午前10時半から、新たに入塾した45期生のオリエンテーション。
まず遠山敬史・塾長から、塾生の皆さんに自覚してもらいたいことなど、30分強に渡って訓示。
その後、少し休憩をはさんでから、塾頭としての訓示。
簡単なスライドを使って、塾生の皆さんに伝えたいことを30分間。
「覚悟」・「素直」・「自立・自律」・「煩悶」・「大忍」など、キーワードを示しながら、それぞれ私の経験も含めて思いを話しました。
政経塾のすべての寮室には、松下幸之助・塾主の直筆の「大忍」の書が飾ってあります。
↑ この「大忍」の写真は、今、住んでいる寮室にかかっているものです
「大忍」について、自分の塾生時代の話をしていたら、当時の感情が蘇ってきて声が震えました・・・自分でもビックリしたのですが、聞いている塾生の方が驚いたでしょう(笑)。
「大忍」については、市長時代、岐阜新聞のコラム「素描」に書いたことがあります。
====================
大忍(たいにん)
大学時代の一年間、衆議院議員の国会事務所で秘書をした。政治家志望の私を知って、たまたま先輩が声をかけてくれた。
秘書の仕事の中で、松下政経塾(以下、政経塾)の先輩に出会い、政経塾を勧められた。ダメで元々の気持ちで受けたところ、運良く政経塾で学ぶ機会をもらった。世の中で「縁(えにし)」は本当に大切だと思う。
ただし、政経塾は一定期間の身分は保障されるが、その後は何ひとつも約束されていない場所だった。世の中での立ち位置は極めて不安定で、政治の道に進もうとすれば、なおさらだった。
ある日、将来への不安に押しつぶされそうになり、頭をかきむしりながら「なぜ、こんな苦しい道を選んだんだろう」と後悔したことがあった。
落ち着かない気分でグルグルと部屋を徘徊していたそのとき、目に「大忍」という字が飛び込んできた。
政経塾の寮室には、松下幸之助塾主(以下、塾主)の直筆の書がかけてあった。
突然、私は叫び声を上げた。自分の頭を殴りつけた。そして、泣いた。
自分で選んだ道のはずなのに、苦しさから安易に逃げようとしていた。「世のため、人のため」と口では偉そうに言いつつ、将来の自分の生活のことを心配していた。
塾主から「お前なんか辞めてしまえ」と激しく叱責をされたようで、同時に「単なる忍耐ではない。公に尽くす志を立てたなら、大忍しなければならない」とやさしく諭され励まされた気がした。
政経塾の卒塾記念は、「大忍」と書かれた皿だった。その皿は、今、市長室の机の上にある。
====================
↑ 市長室の机の上に12年間、ずっと「大忍」の皿を置いていました・・・今は、寮室の机の上にあります
午後1時半から、募集採用部との打ち合わせ・・・今後、原則として毎週月曜日に定例で打ち合わせをします。
午後2時半から、シニアパートナーをお願いしている塾員の片山さんと重岡さんとの打ち合わせ。
昨年度からそれぞれ共同研究・リベラルアーツのコーディネートを担っていただいています。
今日は今年度の進め方や、共通認識を持てるように使う用語の定義を議論して午後4時半まで。
午後5時から、研修部との打ち合わせ・・・こちらも同じく、原則として毎週月曜日に定例で行います。
午後6時まで。
午後8時から、朝、走れなかったので、珍しく夜にユックリとした5キロのジョグ。
その後、洗濯機をまわし、乾燥機をかけ。