今朝は午前6時半に起床。
午前7時半前にホテルで朝食をとり、午前8時前にホテルを出てアクロポリスへ。
ホテルからアクロポリスまで2キロもないので、街の散策がてら歩いて。
↑ 少し離れたところからアクロポリスの丘が見えてくると、それだけで何だか嬉しくなりました
チケットは単独だと10ユーロですが、アクロポリスも含めて7つの遺跡が観れる共通券が30ユーロであるので、そちらを選択。
↑ ディオニソス劇場・・・現在は中に入れないようです
↑ プロビレア(前門)
↑ そしていよいよパルテノン神殿・・・思っていたより、ずっと大きくてビックリ
いつも書いている通り、小中学校や高校の教科書・参考書に載っていた建物・絵画等を見ると、感激もひとしおです・・・ミーハーですから(笑)。
このパルテノン神殿は、昨日もブログで紹介したペリクレスの命により建設されたもの。
昨日もほんの一部を紹介しましたが、ペリクレスの葬送演説は一読に値します。すべては難しいので、今日も一部だけですが、できることなら、一部の抜粋のほんの一部だけでも読んでみてください。
われらがいかなる理想を追求して今日への道を歩んできたのか、いかなる政治を理想とし、いかなる人間を理想とすることによって今日のアテナイの大をなすこととなったのか、これを先ず私は明らかにして戦没将士にささげる讃辞の前置きとしたい。
この理念を語ることは今この場にまことにふさわしく、また市民も他国の人々もこの場に集う者すべて、これに耳を傾けるものには益する所があると信ずる。
われらの政体は他国の制度を追従するものではない。ひとの理想を追うのではなく、ひとをしてわが範に習わしめるものである。
その名は、少数者の独占を排し、多数者の公平を守ることを旨として、民主政治と呼ばれる。わが国においては、個人間に紛争が生ずれば、法律の定めによってすべての人に平等な発言が認められる。
だが一個人が才能の秀でていることが世にわかれば、輪番制に立つ平等を排し、世人のみとめるその人の能力に応じて、公の高い地位を授けられる。
またたとえ貧窮に身を起こそうとも、国に益をなす力をもつならば、貧しさゆえに道を閉ざされることはない。
われらはあくまでも自由に公につくす道をもち、また日々たがいに猜疑の目を恐れることなく自由な生活を享受している。
よし隣人がおのれの楽しみを求めても、これを怒ったり、あるいは実害なしとはいえ不快を催すような冷視を浴びせることはない。私の生活においてわれらはたがいに制肘を加えることはしない。
だがこと公に関するときは、法を犯すふるまいを深く恥じ恐れる。時の政治をあずかるものに従い、法を敬い、とくに、侵されたものを救う掟と、万人に廉恥の心を呼びさます不文の掟とを、厚く尊ぶことを忘れない。
また、戦いの訓練に目を移せば、われらは次の点において敵側よりもすぐれている。
まず、われらは何人にたいしても都を開放し、決して異国の人々を追い払ったことはなく、学問であれ見物であれ、知識を人に拒んだためしはない。
敵に見られては損をする、という考えをわれらはもっていないのだ。なぜかと言えば、われらが力と頼むのは、戦の仕掛や虚構ではなく、事を成さんとするわれら自身の敢然たる意欲をおいてほかにないからである。
子弟の教育においても、彼我の距りは大きい。
かれらは幼くして厳格な訓練をはじめて、勇気の涵養につとめるが、われらは自由の気風に育ちながら、彼我対等の陣をかまえて危険にたじろぐことはない。
苛酷な訓練ではなく自由の気風により、規律の強要によらず勇武の気質によって、われらは生命を賭する危機をも肯んずるとすれば、はやここにわれらの利点がある。
なぜなら、最後の苦悶に耐えるために幼少より苦悶に慣れ親しむ必要がない。また死地に陥るとも、つねに克己の苦悩を負うてきた敵勢にたいしていささかのひるみさえも見せぬ。
これに思いをいたすとき、人はわが国に驚嘆の念を禁じえないだろう。だがわれらの誇りはこれにとどまるものではない。
われらは質朴のうちに美を愛し、柔弱に堕することなく知を愛する。
われらは富を行動の礎とするが、いたずらに富を誇らない。また身の貧しさをみとめることを恥とはしないが、貧困を克服する努力を怠るのを深く恥じる。
そしておのれの家計同様に国の計にもよく心をもちい、おのれの生業に熟達をはげむかたわら、国政のすすむべき道に充分な判断をもつように心得る。
ただわれらのみは、公私両域の活動に関与せぬものを閑を楽しむ人とは言わず、ただ無益な人間と見なす。
そしてわれら市民自身、決議を求められれば判断を下しうることはもちろん、提議された問題を正しく理解することができる。
理をわけた議論を行動の妨げとは考えず、行動に移るまえにことをわけて理解していない時こそかえって失敗を招く、と考えているからだ。
この点についてもわれらの態度は他者の慣習から隔絶している。われらは打たんとする手を理詰めに考え抜いて行動に移るとき、もっとも果敢に行動できる。
しかるにわれら以外の人間は無知なるときに勇を鼓するが、理詰めにあうと勇気を失う。
だが一命を賭した真の勇者とはほかならず、真の恐れを知り真の喜びを知るゆえに、その理を立てていかなる危険をもかえりみないものの称とすべきではないだろうか。
またわれわれは、徳の心得においても、一般とは異なる考えをもつ。
われらのいう徳とは人から受けるものではなく、人にほどこすものであり、これによって友を得る。
またほどこすものは、うけた感謝を保ちたい情にむすばれ、相手への親切を欠かすまいとするために、友誼はいっそう固くなる。
これに反して他人に仰いだ恩を返すものは積極性を欠く。相手を喜ばせるためではなく、義理の負い目をはらうにすぎない、と知っているからだ。
こうしてただわれらのみが、利害得失の勘定にとらわれず、むしろ自由人たる信念をもって結果を恐れずに人を助ける。
まとめて言えば、われらの国全体はギリシアが追うべき理想の顕現であり、われら一人一人の市民は、人生の広い諸活動に通暁し、自由人の品位を持し、おのれの知性の円熟を期することができると思う。
そしてこれがたんなるこの場の高言ではなく、事実をふまえた真実である証拠は、かくのごとき人間の力によってわれらが築いた国の力が遺憾なく示している。
なぜならば、列強の中でただわれらの国のみが試練に直面して名声を凌ぐ成果をかちえ、ただわれらの国にたいしてのみは敗退した敵すらも畏怖をつよくして恨みを残さず、従う属国も盟主の徳をみとめて非をならさない。
かくも偉大な証蹟をもってわが国力を衆目に明らかにしたわれらは、今日の世界のみならず、遠き後の世にいたるまで人々の賞嘆のまととなるだろう。
トゥキュディデス「戦史」
パルテノン神殿の前に立ち、このペリクレスの葬送演説に思いを馳せました。
↑ エレクティオン
次にアクロポリス博物館へ。
残念ながら、館内の写真撮影は禁止でした。
アクロポリスのエレクティオンの少女像(上の写真)は複製で、6体のうちの5体はこの博物館に展示してあります。
ちなみに残りの1体は大英博物館にあるそうです。
↑ ハドリアヌスの門
↑ ゼウス神殿・・・ですが、修復工事中でした
でも、パルテノン神殿よりも、さらに大きな神殿だったんですね。
↑ 次の遺跡に向かう途中、美しい花が咲いていました
↑ ローマン・アゴラ・・・ローマ時代初期のアゴラ(市場)の跡
続いて、古代アゴラへ。
ソクラテスやプラトンも、このアゴラに来て議論を交わしていたか、と思うと、その場所にいることが不思議な感じがしますね。
↑ へファイストス神殿・・・パルテノン神殿とほぼ同時期に建設されたそうです
↑ 中央柱廊・・・ここが市場でものを売買していた場所
↑ アタロスの柱廊・・・ギリシャで唯一、完全に復元された建物・・・往時が偲ばれます
続いて、ケラミコスの遺跡へ・・・古代ギリシャ人の墓地。
続いて、ハドリアヌスの図書館へ。
次に、考古学博物館へ。
↑ 黄金のマスク
↑ 馬に乗る少年
↑ ミロス島のポセイドン像
↑ アフロディテとパンとエロスの像・・・アフロディテがスリッパみたいなものを持ってて面白いな・・・と思っていたら、ホントにスリッパでした(笑)
↑ ポセイドンのブロンズ像
↑ ボクシングをする子供たち
さらに、無名戦士の墓へ。
たまたま、ちょうど衛兵交代の時間と重なりました。
この場所でやっていることは知っていて、(わざわざ時間を合わせて見に来なくてもいいかな)と思っていたのですが、ちょうど見れるなら、ということで見学。
衛兵交代はいくつかの国で見たことがありますが、ギリシャ兵の歩き方は独特ですね。
最後に、第1回のオリンピックが開催されたスタジアムへ。
ここまでまわって、一旦、ホテルで休憩。
その後、実に1か月ぶりにジョグへ。
体調を崩した10月下旬から走ってきませんでしたが、怪我以外でここまで走らなかったことは、ジョグを始めてからありませんでした。
走れるか心配でしたが、ユックリとなら5キロいけました。
朝と同じくアクアポリスの丘まで向かったのですが、朝には気づかなかった展望スポットに人がいたので、私も立ち寄り。
洗濯をして、シャワーを浴びて、明日の日帰りでのブルガリア行きの下調べ。
朝7時45分のフライトと早いので、午前4時に起きて空港に向かう予定です。