今朝は久しぶりに早い時間に起床。
午前5時半にアラームを鳴らし、午前6時過ぎにホテルを出て、ホテル前の駅からトラムに乗ってバスターミナルへ。
↑ 朝食はターミナルで売っていた塩味のパン・・・いろいろなお店が出ていて、地元の人も食べながら歩いていたので・・・思った以上に塩辛いです
午前6時50分くらいにバスが到着。
バスと言っても、20人乗りくらいの小さなバスでした。
乗り込むときに昨日購入したチケット(レシート)を渡したら、ドライバーの人が「帰りのチケットも買うか?」と聞いてくれたので、これ幸いと購入しました。
レシートに、帰りのバスの時刻表が載っていたので助かりました。
バスターミナルから、アウシュヴィッツ博物館までは約1時間半・・・所要時間は事前に分かっていたものの、思ったより遠く感じました。
午前8時30分過ぎに終点のアウシュヴィッツ博物館に到着。
親切なドライバーの方が、「帰りのバスの乗り場は、黄色と赤色のあそこだから」と教えてくれました。
↑ 確かに黄色と赤色です
↑ こちらのゲートを入っていきます
↑ 団体ツアーの人が大勢いました
ネットで情報を調べると、以前は予約なしで個人もハードルも高くなく入場できたようですが、現在は個人での入場は季節ごとに時間が定められているようで、例えば10月は午後3時以降のようです。
午後5時には閉まるので、実際にはアウシュヴィッツとビルケナウを2時間でまわるのは、かなり厳しい、と思います。
私のように団体ツアーでなく入場するには、ホームページから各言語のガイドツアーに申し込むことになるのですが、これもかなり埋まりが早く、今日のガイドツアー(3.5時間)は、英語がすでに枠がなく、致し方なくポーランド語で申し込みました。
もちろん、ポーランド語はまったく理解できませんが、とにかく入場するためには、この方法しかない、と思ったので。
入場してから、インフォメーションデスクで、
Is it possible for me to change to English tour?
と質問しようとして、チェンジの「チェ」を言ったところで、スタッフのお兄さんに、
NO!
と言われました(苦笑)。
まぁ、とにかく言葉は分からなくても、見るべきところを案内してもらえればいいや、と思ったのですが・・・私が参加したポーランド語ツアーの参加者は11名。
なんと、その中でポーランド語が理解できるのが4名、私も含めた7名はポーランド語が理解できないメンバー。
結局、私のように考える人が多い、ということですね。
最初に、短時間ながらアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所の簡単な紹介映像を観ます。
↑ ここだけは日本語で説明を聞くことができました
その後、ガイドさんに案内をしてもらいながら、各施設を順番に巡っていきます。
↑ 収容所の入り口にある「働けば自由になる」という標語・・・強烈なアイロニーですね
↑ 事前の紹介映像で、当時の写真に写っている場所が、現在のアウシュヴィッツ収容所にそのまま残っている場面があったのですが、どこを歩いても当時の収容された人が実際に歩いたところか、と思うと心が重くなります
強制収容所の名の通り、ほとんどの人が収容され、過酷な労働を強いられた上で殺害された、と思っていましたが、実際には列車で到着をした直後、選別をされた上で収容されるのは20%だけで、残りの80%の人はそのまま殺害されていたことを初めて知りました。
↑ 選別された後の写真・・・子ども達は労働力とならないため、そのまま殺害されました
この写真のキャプションには、英語で「ON THE WAY TO DEATH」とありますが、この写真の子ども達が歩いている道は、文字通り、死への道、です。
↑ 選別を終えた後の写真
2枚上の写真で大勢の人が写っていますが,8割の人は数時間の内に命を奪われたことになります。
↑ 収容されていた人のメガネの山
その他にも,靴やカバン等も大量に展示がしてありましたが,そのモノの向こうにある一人ひとりの人生に思いを馳せます。
何よりも強烈に印象に残ったのは,女性の頭髪の山・・・2トンにもなるそうですが,加工して生地にするため集められたそうです。
博物館内は基本的には写真撮影可能ですが,この女性の頭髪の部屋は写真撮影禁止でした。
↑ 子ども達の小さな服
収容所内の様子も見ることができました。
暖房等はなかったですから,特に冬の寒さは想像を絶する厳しさだったでしょう。
↑ 通称「死の壁」・・・この壁の前で数千人が銃殺されました
↑ 「死の壁」に面している収容所の窓は,銃殺が見えないよう木板で隠されています
↑ 110万人が虐殺されたと言われていますが,その一人ひとりの名前が記されています
↑ 大きな紙の両面にビッチリと名前を書いても,これだけの量の紙が必要(これでも半分)・・・まさしくジェノサイドです
↑ ガス室の内部・・・ここは燃料を保管していた場所
アウシュヴィッツでのガイドツアーはここで区切り・・・所要時間は2時間45分でした。
アウシュヴィッツからビルケナウまで,無料シャトルバスが出ているので,そのバスで移動。
↑ 10分間隔で運行していました
バスで10分弱でビルケナウに到着。
↑ 収容される人達はこの線路を通って収容所内に入っていきました
↑ 線路に一両だけ車両が・・・こういう車両でぎゅうぎゅう詰めにされ,上で書いた通り,到着してから選別が行われた場所
↑ とにかく敷地が広大で,ジェノサイドをするために,ここまでの施設を建設し運営したことに驚愕
アウシュヴィッツという名前が知られていて,ビルケナウと聞いても分からない人が多いと思いますが(私自身もそうでした),ガス室での大量虐殺などはビルケナウで行われていました。
↑ こちらもガス室の跡
↑ すぐ横に慰霊碑が建っていました
↑ こちらもさらに大きなガス室の跡
↑ 同じように慰霊碑がありました・・・いずれも慰霊碑の前で首を垂れてきました
しかし、ヒトラーもナチスも、軍事クーデターを起こして政権を奪ったのではなく、いろいろな思惑や政治背景はある中で、結果的にクーデターではなく権力を手中に収めていった、という歴史的経緯は認識しておく必要があります。
そして、アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所で働いていた軍人等も、家に帰れば良き家庭人であった、といいます。
ある意味、職務を忠実にこなしていた、とも言えます。
私たちにとっても、他人事ではありません。
ビルケナウから、再びシャトルバスに乗ってアウシュヴィッツに戻り、クラクフのバスターミナル行きのバスに乗車。
帰りもやはり1時間半強かかりました。
その後、クラクフの中央広場等を散策。
↑ バルバカン・・・15世紀後半に建てられた城塞の一部
↑ 聖マリア教会
↑ 左が旧市庁舎の塔、右が織物会館
ここからさらに南に下って、ヴァヴェル城へ。
↑ 歴代ポーランド王の居城だったところ
↑ 歴史を感じるお城でした
↑ 橋の上から望むヴァヴェル城
夕食は昨日の屋台でケバブロール・・・肉と野菜が両方入っていて気に入ってます。
クレジットカード決済の際、ポーランドのズウォティか、日本の円か、どちらかを選ぶ画面が出たのを見て、店員さんが「あなたは日本から来たのか?」と。
「そう、日本から来ました」と答えたら、「日本人に初めて会った」と。
良い印象を与えられたら良いのですが(笑)。
一旦、ホテルに戻ってから、再び外に出て聖ヴォイチェフ教会のコンサートへ。
夕方、教会の前を通ったとき、コンサートの看板が出ていたので、(折角なので聴いてみるか)とチケットを購入。
現地通貨が30ズウォティ残っていて、看板に20と書いてあったので、ちょうど使えるし、とも考え。
・・・が、料金は60ズウォティ・・・看板には20時(午後8時)開演と書いてあったようです(苦笑)。
現地通貨は30ズウォティしかないし、クレジットカードは使えない、と言うし困ったな・・・と思っていたら、スタッフの人がポーランド通貨かユーロで払える、と。
おぉ、ユーロが使えるならば、ということで、財布に入れていた15ユーロで支払い。
午後8時からのコンサートは、前半はパイプオルガン、後半は弦楽五重奏でした。
硬軟織り交ぜての選曲で気軽に聴くことができました。
↑ 演奏が始まる前に撮影・・・教会でのコンサートは初めてでしたが、雰囲気が良いですね
↑ 聖ヴォイチェフ教会
コンサートは1時間強で終了。