インドに入国したのは、大学1年生の夏休みに来て以来なので、実に30年以上ぶり。
そのときは、コルカタ(カルカッタ)に行きましたが、駅やホテルを出たら20人くらいの子どもに囲まれて一斉に手を出されましたし、道路や列車の中で手や足がない人・ありえないかたちに足が何箇所かで折れ曲がっている人がいました。
物乞いでしか生きられないため、手や足を切ったり、折り曲げることによって、お金を恵んでもらいやすくなるように、あえてやっている・・・と当時、聞きました。
そのときは、大学のサークルメンバー4人組だったのですが、日中、同学年だったTが赤ちゃんを連れた物乞いの母親にサリーを買ってあげたら、夜にもう一人の物乞いが赤ちゃんを連れて私たちの前に現れ、「私にも買ってくれ」と。
今度はTは「買わない」と伝えたのですが、夜の路上でインド人が集まってきて、「サリーを買ってやるのがおかしい」という話で、インド人と議論になったことがありました。
インドを出国するときも、空港の警官がワイロを当たり前のように要求をして、出したお金を次々とポケットに入れているのも、私自身も若かったため、かなり憤慨したことも覚えています。
今回、コルカタではなくデリーではあるのですが、どう変わったのか、ということに関心がありました。
滞在中、観光地や駅周辺などでも物乞いには、お金や食べ物をねだられることはありましたが、30年以上前と比べれば、その数は圧倒的に減っていました。
以前も書きましたが、「ファクトフルネス」の通り、インドも確実に成長をしていることを感じました。
一方、私自身もモノの見事に騙されたように、インド人の強かさは健在でした。
高い授業料でしたが、日本にいたらおそらく騙されることは少ない、と思いますので(希望も込めて)、両替詐欺も含めて(こうやって自分自身も騙されるんだなぁ・・・)と新たな発見をした感じです(笑)。
タージマハルは、世界一周の最後の国に相応しく、見応え十分で自分の目で見ることができて、素直に嬉しかったです。
上で書いた通り、サークル4人組でインドを訪問しましたが、リーダーは4年生のK先輩でした。
大学時代に入っていたサークルは、秋の総会で初めて正式会員に認められる規定だったのですが、当時からいい加減だった私は、その総会に遅刻をして、1年生で私だけ正会員になれませんでした。
総会が開かれていた部屋の襖をソーッと開けたら、すぐに「バカヤロー!」と怒声が飛んできました。
インドに連れていってくれたK先輩でした。
その夜、総会後の懇親会がありました。
途中、K先輩が私を手招きで呼び、
「尾関、お前はホントにどうしようもないバカヤローやな」
「でもな、お前の顔を見ていると、なんかやってくれそうな気がすんねん」
「お前なら、やれるで」
と、関西弁で叱咤をしてくれ、かつ、激励をしてもらえました。
自分自身が情けなく、K先輩の前で涙を流したのを覚えています。
K先輩は大学を卒業し企業に就職して働いていらっしゃいましたが、しばらくして、K先輩の突然の訃報に接しました。
確か26歳の若さで逝かれてしまった、と思います。
それ以来、K先輩の声を聞くことは叶いませんが、30年以上経った今でも、「バカヤロー!」という叱咤の声と、「お前なら、やれるで」という激励の声は、私を支えてくれています。
この話は、関商工の卒業式で何回か話したことがあります。
今回の世界一周は実質的に無職のままで各国を巡ってきましたが、今後の自分自身の生き方を考える時間でもありました。
いろいろな国で考えて浮かんでくる言葉は、
「能力が足りなくても、自分自身のすべてを賭けて、愚直に進む」
というもの・・・これ以外は出てきません。
美しいタージマハルを見つめながら、30年前にK先輩に連れてきてもらったことに感謝を伝え、再びインドに来ていることを報告しました・・・かつ、騙されてボラれたことも(笑)。
51歳となった今でも「バカヤロー」な人間のままですが、「お前なら、やれるで」というK先輩の言葉を胸に、これからも人生を歩んでいきたい、と思います。