「日刊オゼ☆ケン」通信 THE 3rd

松下政経塾・塾頭 前岐阜県関市長(3期)&スタアラ世界一周

9月13日のブログ「朝会にて所感の発表、消防・避難訓練、「黎明の塔」へ」

今朝もいつものユックリとした5キロのジョグ。

 


↑ 今朝の富士山・・・美しいシルエットが見れました

 


↑ 今朝の江ノ島

 

午前9時からの朝会では塾是・塾訓・五誓の唱和と所感の発表。

 

私が塾生時代は本館玄関ホールもしくは玄関横の屋外で朝会をしていたのですが、四半世紀ぶりに塾に戻ってきて驚いたことは、毎朝、講堂で朝会をすること。

 

私たちの時代、講堂に入るのは入塾式・卒塾式以外では、年度末に行われる審査会くらい。

 

審査会によって、次年度の活動資金が決定する仕組みであり、審査員は外部からいらっしゃるので、とにかく審査会前からずっと緊張をして本番を迎えたものでした。

 

今でも審査会のトラウマ(笑)が残っていて、毎朝、講堂に入るたびに独特の感情が蘇ってきます。

 

市長時代の挨拶より、断然、講堂での塾是・塾訓・五誓の唱和の方が緊張します。

 

一応は暗記をしているので、巻物を使わずに読み上げ。

 

所感では、やはり塾生時代のことを振り返り。

 

これまでにもブログで書いたことがありますが、私の17期は5名の塾生でした(もともとは6名でしたが、1名は半年経たずに退塾)。

 

ただし、それ以外に佐賀県庁から1名、金沢市役所から1名、韓国の大宇グループから1名、中国の社会科学院から2名(1名は体調の関係で途中で帰国)が、1年間にわたってインターンとして一緒に研修を受けていました。

 

また、4月から7月までの4か月間でしたが、オランダからのインターン2名も一緒でした。

 

塾生は5人だけでも、実際にはインターンの皆さんも含めて10名以上で動いていました。

 

さらに、塾内には(一体、何者なんだ)というような人たち(笑)もいて、研究生として韓国人の2名、アメリカからも1名が一緒に寮に住んでいました。

 

当時は、茅ヶ崎政経塾にいても、韓国・中国・オランダ・アメリカの若い世代と、一緒に研修を受けたり、議論をしたり、お酒を飲んだりできる環境でした。

 

政経塾に戻ってきた驚いたことのもうひとつは、コロナの影響も大きいと思いますが、海外との繋がりがなくなってしまっていること。

 

研修という面から振り返っても、私たち17期の製造実習は、韓国の大宇グループの工場でしたし、共同研究テーマは「韓半島の統一問題」であったので、製造実習以外でも韓国に訪問し、中国も訪問しました・・・中国も2回は行っているはず。

 

また、東西ドイツの統一後の調査ということで、稲富さんと大串さんと私の3人はドイツにも行かせてもらいました。

 

つまり政経塾1年目で、1か月間の韓国の製造実習だけでなく、複数回にわたって海外調査に行かせてもらっていました。

 

振り返ると、本当にありがたい環境で研修をさせてもらっていたんだ・・・ということに驚くと同時に深い感謝の気持ちが湧いてきます。

 

今の政経塾の状況から、一足飛びに当時のような環境に持っていくことは難しいのですが、今の塾生の皆さんにも政経塾にいてもアジアや世界を感じる場にできれば、と思っています。

 

朝会の後は事務作業。

 

午後1時半から、塾生の処遇案の素案について、稗田・専務に概要をご報告。

 

時間が限られていたので、細かな点までの議論には至りませんでしたが、方向性はお伝えできて良かったです。

 

遠山・塾長にも、別途お時間をいただいてご説明をする予定です。

 

午後2時から、政経塾の消防・避難訓練

 

コロナのために数年実施されていなかったようですが、訓練をしておくことは当然ながら大切です。

 

まず地震が発生した想定で、避難経路を確保して塾内の避難場所に避難。

 

人数確認をした後、津波警報が発令された想定で、男性・女性に分かれて再び避難。

 

塾内で女性は寮棟の5階、男性は研修棟の2階へ。

 

そちらに食料・水等が備蓄してあるので、ストックの確認やさらに津波が襲ってきたときの避難経路を確認。

 

再び全員が集まって、稗田・専務の講評で一旦解散。

 

その後、45期の塾生と職員有志は消火器の訓練と、消防ホースからの放水訓練。

 

消火器の訓練は何度かやったことはあるのですが、いざ、というときを考えると、何度でも訓練しておいた方が良いので私も体験。

 

また、消防ホースからの放水訓練は初めてでしたので、放水の水圧などが実際に体験できたので良かったです。

 


↑ なんかヘッピリ腰ですね(photo by 45期山下かおりさん)

 

その後、消防ホースを「黎明の塔」に干したのですが、保安の成田さんから「黎明の塔に上ってみますか」という声をかけていただき、45期と職員有志で階段を上がって上部へ。

 


↑ こちらが「黎明の塔」

 

最後に「黎明の鐘」のところまで上がるには、天蓋を開けなければならないのですが、しばらく開けていなかったこともあり、南京錠が開かず。

 

結局、南京錠を切って開けてもらったのですが、その間、蒸し風呂のような状態に。

 

汗がダラダラと流れてヤバイ状態でした(笑)。

 


↑ みんな笑顔ですが、全員、蒸し風呂の真っ最中(笑)

 

成田さんに南京錠をカットしてもらい、やっと念願の「黎明の塔」の上部へ。

 


↑ 直前まで蒸し風呂だったこともあり、解放感は最高でした・・・「黎明の塔」から望む江ノ島

 


↑ 成田さんも一緒に全員で

 


↑ こちらが「黎明の鐘」・・・建塾当時は実際に鳴らしていましたが、現在は使っていません・・・ただし、東日本大震災のときには地震の揺れで鐘が鳴ったそうです

 

いやぁ、貴重な体験でした・・・汗だくとなりましたが。